渡す前に見直し

誕生日は、バースデーケーキなどと共に、プレゼントを贈る。ヴァレンタイン・デーは、メッセージカードとともに、チョコを贈る。相手を祝福すること、愛を伝える方法は、現代ではこのように定番化してしまっていますが、本来は、相手に気持ちを伝えることが目的です。物を贈る習慣は、いつ頃できてしまったのでしょうか。時代が時代なら、家が貧しかったりして、たいした物は贈れなかったでしょう。そこで、物を贈れる人と、贈れない人と、祝福する気持ちや愛情にすら、差が生まれてきてしまいました。

でも、改めて考えてみると、物よりも、気持ちが大事なはずです。私たちは時に、その大前提を忘れ、相手の気持ちを、贈られた物の価値で、おしはかるようにはなっていないでしょうか。同じ「物」であっても、自分が期待してた物とは違っていたりすると、うれしく感じなかったり、ひどいと、不平不満を友だちにもらしている若い人がいたりしますが、せっかく贈られた気持ちを、そんな風に言って処理してしまうのは、もったいなくはないでしょうか。こう考えてみてください。

物などのプレゼントはなく、贈られたのは、気持ちのこもった音楽や歌だった。メモに書かれた指示に従って、ベッドの下を見ると同じようなメモがあり、またそこに書かれた指示に従って風呂場に行くと、曇りガラスにメモが書かれており、今度は玄関に行くと、プランターの奇麗に咲いた花の中に、メッセージカードが添えられており、デートのお誘いとともに、愛の告白が書かれていた。実際に、こういうことを、自分がされたらと想像してみると、素直にうれしいと感じる人と、恥ずかしいと感じて嫌がる人、ちょっと子供じみている…と、あまりうれしく感じない人と、物を贈られた方がうれしいと感じる人と、いろいろ分かれると思います。うれしいと感じる人は、もしかしたら、少ないのかもしれません。欧米では普通にあり得ても、日本の男女は、基本、こういう気持ちの贈り方はしませんからね。

大体、相手に「愛してる」とか、日常的に口にすることすらも、男性は避けて、釣った魚にはエサをやらないといった夫婦の形を死守している、昔気質な人が、大多数だったりしますから、上記した気持ちの贈り方は、残念かな、メジャーな手法にはなり得ていません。

でも、もう一度、大前提に戻ってみませんか。物よりも、気持ちを贈られることの方が、とてもすてきだということを。自分が軽んじられているような気がする、という人は、そう思う自分の気持ちの在り方を、一度、見つめ直してみると良いです。そして、物質主義に偏りすぎてしまった現代の暮らしというものを、もう少しは反省してみて、自分の成長の糧にしてみて欲しいと思います。

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